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大和路を訪ねて 

〜 私の一押しの大和路 〜 【その20】  米田嘉浩

―「不退寺」―

今回は大和を代表するイケメン(美男子)、在原業平ゆかりの「寺社」のうち、「寺」のご案内をいたします。 「社」は前回ご案内しました天理市内の「在原(ありはら又はありわら)神社」でした。「寺」は奈良市法蓮町にあります「不退寺」です。

不退寺は正式には「不退転法輪寺」といい、俗称が「業平寺」です。山号は金竜山、開基は在原業平、宗派は「真言律宗」です。

前回も触れましたが、「業平」の父親は「阿保親王」で、その父親は51代平城天皇です。業平は皇孫になります。平城天皇は京(みやこ)を京都に遷都した50代「桓武天皇」の皇子ですが、奈良とご縁の深い天皇です。

平城天皇は桓武天皇の後を継ぎますが、即位3年で病気を理由に退位し、その後療養のために平城京に移ります。このため平城天皇(退位されたので上皇)の下に多くの役人も派遣され、平城京は上皇の御所として再び再び光を取り戻します。

その後健康を取り戻された上皇は、再び皇位につこうとされ、平城遷都を宣言されますが成功しませんでした(薬子の変)。平城上皇はその後、828年に亡くなられるまで平城京で過ごされます。御陵は復元された「第一次大極殿」の北方にある「楊梅陵」(やまもものみささぎ)=古墳名は市庭古墳、といわれています。もし、上皇の平城遷都が成功していたら、今の奈良はもっと光り輝いていたかも知れません。

この平城上皇が御所を営んだ所が不退寺の付近です(茅の御所)。不退寺はこのような由緒のある古刹ですが、境内は平安期の貴族の住宅を思わせる優美なたたずまいを見せ、本堂の仏像群をはじめ見るべき遺品が数多くあります。本堂、南門、多宝塔は重要文化財です。彫刻では、本尊の木造聖観音立像と木造の五大明王像が平安時代の作で重要文化財に指定されています。

不退寺はJR奈良駅か近鉄奈良駅よりバスで、西大寺駅行き・航空自衛隊行きに乗り、一条高校前で下車し徒歩3分のところにあります。

不退寺の付近には数多くの名所・旧跡があります。西方面(不退寺から平城宮跡までの間)のいくつかをご紹介いたします。

まず寺院では、光明皇后ゆかりの「法華寺」があります。中宮寺、円照寺とともに大和の三門跡尼寺に数えられる名刹です。特に国宝の本尊、木造十一面観音立像は光明皇后の自作、もしくは皇后をモデルにしたとの伝説もあります。また御所の庭を移した「仙洞うつし」の庭園は、江戸初期の名園として知られています。

この法華寺のすぐそばに「海龍王寺」があります。海龍王寺は平城京の北東隅にあったため、隅寺とも呼ばれています。光明皇后が創建し、唐から帰京した僧、玄ムがここに住まいしています。創建時の建築としては西金堂を残すだけですが、この西金堂に安置されている五重小塔は奈良時代に作られた高さ約4mの小建築物で国宝に指定されています。

また御陵、古墳もたくさんあります。不退寺から約5分も歩きますと、「ウワナベ古墳」、続いて「コナベ古墳」がありますが、いずれも陵墓参考地とされています。ウワナベは約260m、コナベは約210mの巨大前方後円墳で、その北西には仁徳天皇の皇后「磐之媛」の御陵があります。この御陵も219mの前方後円墳で、これらの陵墓を通り過ぎ、約15分も歩きますと、「平城遷都1300年祭」のシンボルともいえる復元された第一次大極殿の威容が見えてきます。

この平城遷都1300年祭のメイン会場であります平城宮跡会場には、オープンの4月24日から7月の初旬までに、150万人を超える来場者が訪れています。主催者の予想のなんと2・5倍もの来場者数で、連日大変な賑わいです。

1300年祭はこれからも魅力的なイベントが目白押しに用意されています。是非、足を運んでみて下さい。    

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