サイトマップを表示します。

【平城遷都1300年祭公式ホームページ】にリンク

【平城遷都1300年祭】を応援しています!

大和路を訪ねて 

〜 私の一押しの大和路 〜 【その19】  米田嘉浩

今回は大和を代表する美男子に縁のある寺社を紹介します。その名は「在原業平」です。大和を代表するというより「日本」を代表するイケメン(美男子)と言った方が正解かもしれません。

寺社のうち、「寺」は奈良市内の「不退寺」、「社」は天理市内の「在原(ありはら又はありわら)神社」です。最初に私の住んでいる磯城郡川西町に隣接する天理市の櫟本町の在原神社よりご案内いたします。 「在原神社」は明治初年の廃仏毀釈により廃寺となった在原寺が前身とされています。在原寺は51代平城天皇の皇子「阿保親王」が835年頃に建てたとする説と882年説とがあります。いずれの説を採りましても平安時代の初期になります。江戸時代までは、本堂、楼門、庫裏などを備えた寺でしたが、明治初年に廃寺となり、わずかに神社として残っていて、現在は小さな社が建っています。(祭神は阿保親王と在原業平)

阿保親王の第5子が在原業平です。業平は兄の行平とともに平安時代の代表的歌人(6歌仙)として有名です。また、「昔男ありけり」の書き出しで有名な伊勢物語の作者ともモデルとも言われ、多くの女性との逢瀬や東下りで有名です。6歌仙は業平の他は@小野小町、A僧正遍照、B喜撰法師、C大伴黒主、D文屋康秀の5名です。

伊勢物語をヒントとして謡曲「井筒」が作られ、境内にはその題材となったとされる「井戸跡」が残され、「井筒」に謡いこまれた「夫婦竹」もあります。在原業平と紀有常の娘がこの地に夫婦として居を構えたと伝えられています。また、境内には「業平恋の道、河内通いの道順(八里)という案内板もあります。業平がここから現在の八尾市高安まで通った業平道の一部分が現存していて、案内板には、在原⇒鉾立⇒北漂生⇒伊豆七条⇒馬司⇒今国府⇒法隆寺門前⇒高安(斑鳩)⇒並松⇒龍田⇒信貴山⇒十三峠⇒河内高安と記されています。

先般、吉田寺をご案内しました折に法隆寺から龍田神社を経由して吉田寺へのルートを辿りましたが、その折、在原業平恋の道の標識を見かけました。前記の案内板にある高安(斑鳩)がこれに該当します。

在原神社へは、JR桜井線「櫟本駅」で下車し、東へ約300メートル歩きますと古代に上ツ道(かみつみち)と呼ばれた上街道に出ます。そこを右折し南進し、名阪国道の下をくぐり、約30メートル進みますとすぐ東側に在原神社があります。JRの櫟本駅から徒歩約10分です。

櫟本町は東大寺領櫟本庄として古代から江戸時代まで東大寺を領主として発展しています。あの東大寺の経済的基盤でありました。その特徴は市場町で交易の中心地でした。特に菜種油の取引が多かったようです。また、  櫟本は「万葉集」第一の叙情歌人、柿本人麻呂の生地の一つと言われ、和爾下神社の南に人麻呂ゆかりの「歌塚」が江戸時代の享保17年(1732年)に建てられています。

和爾下神社自体が延喜式神名帳にでてくる由緒ある神社であり、社殿が前方後円墳の後円部上にある、他に例のない神社として有名です。本殿は切妻造り檜皮葺の建物で重要文化財に指定されています。櫟本は他にも史跡「赤土山古墳」「東大寺山古墳」や上街道と高瀬街道の交わる一帯は商業が発展し、荷を運ぶ馬をつないだ「馬つなぎ」の遺構など見所が沢山あります。一度足を運ばれてはいかがでしょうか。

紙幅の関係で「不退寺」は次回のご案内といたしますが、ご了承ください。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フリー百科事典
ウィキペディア
Wikipedia
もどる
【 もどる 】
僕の名前は『うしか君』です。よろしくね!