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大和路を訪ねて 

〜 私の一押しの大和路 〜 【その18】  米田嘉浩

前回は大和を代表する大寺のひとつである「信貴山朝護孫子寺」をご案内しました。同寺は大和に数多くあります聖徳太子にゆかりのお寺のひとつです。

聖徳太子にゆかりのあるお寺と言いますと、「法隆寺」が圧倒的に有名ですが、他にも「片岡山飢人伝説」の達磨寺や先の9回でご案内しました広陵町の百済寺など枚挙にいとまがありません。

「片岡山飢人伝説」は聖徳太子が斑鳩から磯長谷へ向かう途中、この地で瀕死の男に衣食を与え問答を行いますがその後死亡します。太子は墓を造り丁重に葬りますが、後日、その男の遺体は衣服を残し消え去っています。太子はその男が達磨の化身と信じて墓を造り、達磨塚を造り、寺を建て、「達磨寺」と名づけたと伝えられています。

数多くのお寺の建立に携わったといわれる聖徳太子ですが、その太子ご自身が誕生したお寺を訪ねました。そのお寺は奈良県高市郡明日香村橘にある天台宗「橘寺」です。正式には「上宮皇院菩提寺」です。現在は「本堂」、「太子堂」、「経堂」、「観音堂」などの堂宇があるばかりですが、最盛期には東西約390メートル、南北約140メートルの広い寺域をもち、66の堂塔坊舎をかかえた大寺でした。

塔跡には五重塔の塔心礎があり、東西約1・9メートル、南北約2・8メートルの花崗岩の中心に直径90センチメートルの穴が開き、半円形の穴が3つついていて、心柱とその添え木を立てる穴と考えられます。現存すれば約34メートルの五重塔が建っていたことになるそうです。法隆寺の五重塔が34・1メートルですからほぼ同じ高さだったことになります。(薬師寺の東塔33・6メートル)なお、大和で一番高いのは、興福寺の五重塔で50・8メートルあり、日本一は京都の東寺の塔だそうです。

また、昭和31年の発掘調査で、同寺は東を正面にして中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置であることも判明しています。境内には飛鳥石造物のひとつ「2面石」があります。奇怪な形をした花崗岩の石像ですが、これは人の心の善悪を表現しているとのことです。

「橘」の地名の由来は田道間守(たじまもり)の伝説からきています。十一代垂仁天皇の命で常世の国(中国雲南省か)に「非時香菓」(ときじくのかくのこのみ)を求めて使いに出されますが、持ち帰った時には天皇はすでに亡くなっていました。この時に持ち帰った「非時香菓」の実をこの地に蒔きますと、やがて芽を出したのが「橘」(みかんの原種)で、それからこの地を「橘」と呼ぶようになったそうです。(日本書紀)

奈良市尼ヶ辻にあります「垂仁天皇陵(蓬莱山古墳)」の外周の濠の中にぽっかりと浮かぶ小島があります。これが垂仁天皇のために不老不死の「非時香菓」を持ち帰った田道間守の墓と言われています。

聖徳太子は西暦572年にこの地で三十一代の用明天皇と穴穂部人皇女を父母として誕生されています。橘寺は聖徳太子が欽明天皇の離宮を改修し、橘の樹の寺としたのが始まりとされています。

橘寺へは近鉄吉野線「飛鳥」駅で下車し、橿原神宮東口行き奈良交通バスで約10分の「岡本橋」停留所から徒歩3分の所にあります。

平城遷都1300年祭で沸く大和路ですが、1330年前にはすでに存在していたと言われる橘寺をお訪ねになるのも一興かと思います。

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