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大和路を訪ねて 

〜 私の一押しの大和路 〜 【その17】  米田嘉浩

前回は「ぽっくり往生祈願の寺」として有名な吉田寺(きちでんじ)と阿日寺(あにちじ)をご案内しました。今回は大和を代表する大寺のひとつである「信貴山朝護孫子寺」をご案内します。

大和には聖徳太子にゆかりのあるお寺が数多く存在しますが、同寺もそのひとつです。寺伝によりますと、聖徳太子が物部守屋の征伐に向う折、この地で祈願したところ「寅の年」、「寅の日」、「寅の刻」に毘沙門天が現れて願いが叶います。戦勝の後、聖徳太子はこの地に「毘沙門天像」を安置し、「信ずべき山、貴ぶべき山」、即ち「信貴山」とよんだのが寺のおこりといいます。

物部守屋が没したのは西暦587年とされていますので、同寺の創建は6世紀の末頃と思われます。法隆寺の創建が7世紀の初頭(607年)と伝えられていますので、その古い歴史がわかります。

世界遺産の東大寺や興福寺、薬師寺、唐招提寺などの奈良を代表する諸大寺より古い開基となります。聖徳太子が開基したお寺デアルにもかかわらず、平安時代の寛平年間頃には、「毘沙門天」を安置する円堂だけが残っているという状態でした。

この寺の再建に尽力したのが信貴山に住む聖の「命蓮上人」でした。命蓮上人は毘沙門天の霊験により「醍醐天皇」の病を治癒させます。この功績により天皇より「朝護孫子寺」の寺名を賜ったと言われています。この 「命蓮上人」の霊験を描いた平安時代成立の絵巻物が国宝「信貴山縁起絵巻3巻」です。

この絵巻は日本四大絵巻の一つに数えられていて、普段は奈良国立博物館に寄託されています。3巻の中の「飛鳥の巻」は特に有名で「命蓮」が法力で強欲な山崎長者の米倉を信貴山まで飛ばす逸話です。作者は鳥羽僧正と言われています。四大絵巻は著名なものばかりで、他には@源氏物語絵巻A伴大納言絵詞B鳥獣戯画があります。

朝護孫子寺へは近鉄生駒線「信貴山下駅」から奈良交通バス「信貴山」行きに乗り、約10分の終点で下車してすぐのところにあります。バス便の本数は通常1時間に1〜2本程度です。

この寺は信貴山の南東中腹に広大な境内をもっています。ずらりと並ぶ千体地蔵を右に見て楼門をくぐりますと、無数の石燈籠の続く参道の先に三重塔、多宝塔、舞台づくりの本堂や数多くの塔頭寺院が軒を接しています。また、特に有名な巨大な張り子の「福寅」や日本一といわれる「地蔵尊」は一見に値します。世界一ともいわれる張り子の福寅は、今年が寅年ということもあってか、とても張り切っているように見えます。

先日、久し振りに参詣しました折には、大勢の皆さんが「福寅」をバックに記念写真を撮っていました。また、風光明媚な急崖に堂々と張り出した舞台づくりの本堂から眺める大和盆地は絵にもかけない美しさです。眼下には大和川の堂々とした流れを見ることもできます。特に、秋には山全体が何種類もの紅葉が彩り、本堂からの眺めはとても見事なものです。

ご本尊の毘沙門天は、福徳開運の仏として「縁日寅の日」を中心に多くの参詣者を集めています。また、朝護孫子寺はご本尊が毘沙門天ということもあって、古くから「外敵退散」、「悪魔降伏」を祈る武将たちの信仰を集めていました。戦国時代の武将である甲斐の武田信玄の信仰も篤かったとのことです。

「福寅」に会いにお出かけになられては如何でしょうか。    

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