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大和路を訪ねて 

〜 私の一押しの大和路 〜 【9】  米田嘉浩

--- 知られざる古刹 ---

私の住んでいる磯城郡川西町の隣町(北葛城郡広陵町百済)に是非ともご紹介したい古刹があります。それは百済寺(くだらでら)という、歴史的に古い由緒を伝えている寺です。春日若宮神社の境内にある古びた寺ですが、聖徳太子の建立と伝えられる「熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)」の流れを汲み、舒明天皇が百済川の河畔に建立した「百済大寺」の伝承地と言われています。

「百済大寺」はその後天武天皇2年(673年)に飛鳥に移されて「高市大寺」と称され、さらに同6年(677年)には「大官大寺」と改称されます。大官とは天皇の意味ですから、最高に権威のある寺院だったわけです。

大官大寺はその後の平城遷都に伴い移建され、南都七大寺のひとつ「大安寺」となっています。ただ、近年の発掘によって、桜井市の吉備池廃寺を百済大寺とする説も有力となっているようです。

しかし、「百済」の名を残す当地が百済大寺のゆかりとする可能性も消えていません。現在の寺は鎌倉中期に建立された、国の重要文化財の指定を受けている三重塔と談山神社の古社殿を移し再建した大織冠と呼ばれる本堂などからなっています。寺は室町以降「多武峯」領に属し、江戸時代には多武峯の僧侶たちが修理を行っているとの記録もあります。

特に三重塔はとても素晴らしく、色々な表現で称えられています。そのいくつかを紹介いたしますと、
@ 田園地帯にあってひときわ秀麗な姿を…。
A 曽我川の西にある百済の民家のなかに三重塔がすっきりとそびえるとても美しい風景である。
B 周辺の田園の中に忽然とそびえ、風格のあるこの塔こそが百済寺が並みの寺でないことを物語っている。 などと称えられており、中にはもっとすごい表現もあり、            
C 広がる青田に忽然と、太子威光の三重塔。(太子とはもちろん聖徳太子のことです) というように称賛しています。

寺院のシンボルは「塔」だと言われています。本々、塔は舎利、即ちお釈迦様の火葬骨を泰安する施設です。もちろん、お釈迦様の火葬骨は限られていますので、それに代わるものが祀られてはいますが・・・。

大和には塔がとても多く、現代まで400を超える木造の塔が造られています。しかしながらその大部分は落雷、火災、自然倒壊、戦乱などによって消滅してしまっています。廃仏毀釈の影響もありました。

現在、大和に残った木造の塔はわずかしかありません。国宝が10基、重要文化財が7基等です。国宝の塔を列挙しますと次のようになります。著名なものばかりです。

興福寺の五重塔と三重塔、法隆寺の五重塔、法起寺三重塔、薬師寺の東塔(三重塔)、当麻寺の東塔と西塔(いずれも三重塔)、室生寺五重塔、元興寺極楽坊五重小塔、及び海竜王寺五重小塔です。

そして国宝に次ぐ重要文化財のひとつに百済寺の三重塔があるわけです。前述しましたように、とてもすっきりとした三重塔です。こんな素晴らしい塔がそれほど多くの人に知られることなく、ひっそりとたたずんでいることは、大和の奥深さを証明しているように思えてなりません。一見に値します。是非とも足を運んでみてください。

百済寺へは、近鉄大阪線の松塚駅で下車して、田園の中をまっすぐ北に歩いていくと、30分ほどで行くことができます。

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