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大和路を訪ねて 

〜 私の一押しの大和路 〜 【7】  米田嘉浩

竹内街道とその周辺C

當麻寺の北門を出て東北方向に少し歩きますと、當麻山口神社の鳥居北側に変わった建物があります。前回お約束しました「傘堂」です。一辺約40cmの一本柱の上に宝形造り、瓦葺きの高さ約3mの総欅作りの建物です。まるで傘をたてたような形で、奈良県の有形民俗文化財に指定されています。

その姿に興味を惹かれ、建物の倭らにあります「案内板の説明文」を見ましたが、雨風にさらされたためかほとんど判読不能な状態にありました。(訪れたのは平成21年の早春の頃でした。)

そこでその由来などを知りたくて、川西町の図書館等に通い調べてみました。

ある文献によると、傘堂は江戸時代初期の建築で、大和郡山藩主「本田正勝」の菩提を弔うため、家臣であった「吉弘統家」(よしひろ・のりいえ)が建立した、と書かれています。また、別の文献には、本田侯の菩提を弔うために恩顧の臣、領民等が相談し建てるとも書いてあります。江戸時代の中期には郡山藩主柳沢氏も修理に尽力されたことなども記されている。

傘堂とか真面堂と呼ばれるこのお堂は、元々中心柱を「大日如来」に見立てた仏堂であり、傘堂信仰として、「傘堂に三度祈願すれば、長い病にによる下(しも)の世話を人にかけず、自分も苦しむことなく、又、命終わるときは雨が降らず、これまた人に迷惑をかけることもない」という伝承もあるそうです。

葛城市観光協会等発行のパンフレットには、このお堂は左甚五郎が造ったと伝えられていること、又、「ぽっくり信仰(天寿を全うして、ぽっくり死ぬように)」がつたえられている、と記載されていました。

毎年5月14日に執り行われる「當麻おねり(正しくは聖衆来迎練り供養会式)」の日には大勢の人がこのお堂を訪れて、安楽往生を願うそうです。但し、3度は参詣しないとご利益はないそうですが・・・。

なお、かつてこの傘堂に祀られていました「傘堂阿弥陀仏」は石光寺に、吊るしてあった梵鐘は明光寺に保管されています。

この當麻の傘堂によく似たお堂が天理市内の上街道(かみかいどう)沿いにあります「五智堂」です。こちらのお堂は、古刹「長岳寺」の飛地境内にあり、創建は奈良時代と言われています。現存するものは、鎌倉時代末期の作と考えられ、明治41年には国の重要文化財の指定を受けています。このお堂もどこから見ても正面なので、「真面堂」とか形が小さくて可愛いので、「マメ堂」とも呼ばれています。

上街道(かみかいどう)は古代には上つ道(かみつみち)と呼ばれ、北は奈良坂から南は桜井、山田道を経て藤原京に至る幹線道路のひとつでした。その後は「初瀬詣で」や「伊勢参り」の人々が行き交う信仰の道となります。このお堂には、現在はありませんが、江戸時代には床が張ってあり、上街道を通る旅人の休憩所にもなっていたようです。又、お堂の内部には「金剛界四仏の種字(梵字)を刻んだ額が掲げられています。場所は「黒塚古墳」から徒歩5分くらいです。「山の辺の道」からは少し外れますが、足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

次回からは「竹内街道とその周辺」から離れ、比較的知られていないと思われる古刹を中心にご案内したいと思っています。

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