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大和路を訪ねて 

〜 私の一押しの大和路 〜 【5】  米田嘉浩

竹内街道とその周辺A

お伊麻さんの石碑を後にして、竹内街道の出発点の「長尾神社」に戻り、いよいよ竹内峠を目指します。二上山が右手に見えます。二上山は不思議な魅力のある山です。隣の葛城・金剛連山に比べずっと低いのに、雄岳(517m)、雌岳(474m)が並び立つ姿が、奈良盆地のほとんどの場所から見ることができます。その山の姿が微笑ましいこともありますが、「中将姫」や「大津の皇子」の物語により忘れがたい山になっています。

二上山は万葉の時代は「ふたかみやま」と呼ばれていました。現在は「にじょうざん」が一般的なようです。近鉄電車南大阪線に「「二上神社口(にじょうじんじゃぐち)」駅とずばり「二上山(にじょうさん)」駅があります。  いつから「にじょうざん」になったのか興味がありますがよく分かりません。あの国学者、本居宣長が菅笠日記に「地元の人達がニジョウガ岳と呼んでいて嘆かわしい」と書いていることからも、既に江戸時代には「「にじょうさん」と呼ばれていたものと思われます。何故このように変わってしまったのか、一説には、「にじょうざん」の方が勇ましい感じで今様と思われたからとのことです。もっとも、山麓にあります道の駅は「ふたかみパーク當麻」とありますし、香芝市「ふたかみ文化センター」もありますので、「ふたかみ」の名も負けていません。

長尾神社から15分くらい歩きますと竹内集落に入ります。大和棟の民家が立ち並び、今なお昔の面影をとどめています。この集落の中に俳聖松尾芭蕉の記念碑(綿弓塚)があります。  綿弓塚は芭蕉翁が門人苗村千里(粕屋甚四郎)の実家を訪ねた折に詠んだ「綿弓や琵琶になぐさむ竹の奥」の句を記念して文化6年(1809年)に大和の俳人西島紅園と脇屋愚口により建てられています。現在、よく手入れされた庭園と休憩所として俳句愛好者の憩いの場となっています。休憩所の中には芭蕉翁の資料や司馬遼太郎の色紙などが展示されています。  先日、私が訪れました折りには、地元の小中学生の皆さんの作品が壁面に掲示されていました。作品の出来不出来は私にはよくわかりませんが、子供たちが真剣に制作に取り組んでいる姿が目に浮かび、嬉しくなりました。芭蕉翁もさぞかしよろこんでいらっしゃることと思います。

芭蕉翁は大和に関する数多くの作品を残しています。生まれ故郷が滋賀県の伊賀上野と大和に近かったこともあるせいでしょうか? 芭蕉翁の大和への旅は記録として残っているだけで6回にもなるそうです。その1回目が1684年の秋から翌年春にかけての「野ざらし紀行」の時であり、このおりに綿弓の句を残しています。2回目が1687年冬から翌年秋にかけての「笈の小文」の時の旅、そして最後の6回目が郷里の伊賀上野から大和に立ち寄り、暗峠をこえて大坂に出て、到着後1カ月後に「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句を最後に他界しています。この暗峠を越える最後の道中で大和を詠った有名な1句が「菊の香や奈良には古き仏達」があります。

次回は竹内街道を少し離れ、当麻寺の周辺にあります「傘堂」を訪ねてみたいと思います。

外部リンク

・二上山

・中将姫

・大津の皇子

・大和棟の民家

・松尾芭蕉

・綿弓塚

・野ざらし紀行

・笈の小文

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