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大和路を訪ねて 

〜 私の一押しの大和路 〜 【4】  米田嘉浩

〜 竹内街道とその周辺@ 〜

竹内街道は広辞苑によりますと、「大阪府堺市と奈良県橿原市を結ぶ古来の主要道。県境付近には標高289mの竹内峠がある」となっています。現在の行政区分ですと、大阪府堺市→松原市→羽曳野市→太子町→奈良県葛城市→橿原市です。約20年前に「あなたとなら大和路観光キャンペーン推進協議会」が発行した奈良ロマンチック街道誌によりますと、「竹内街道は言わば古代の国道1号線(難波から竹内街道、横大路を経て飛鳥へ)で、古代文化の通り道でした。仏教も渡来の技術者集団も、また小野妹子ら遣隋使や留学生たちもこの道を難波から飛鳥へと行き交いました」と書かれています。交通の要衝であったわけです。

現在、大阪府太子町春日から奈良県葛城市長尾神社までの約7・4kmの区間が「竹の内街道竹内峠」として歴史国道に選定されています。今回改めてね1400年もの昔を思いやりながら、この街道の一部を歩いてみたいと思います。 竹内街道の大和側の出発点である葛城市長尾の「長尾神社」は、近鉄南大阪線「磐城」駅から南へ約150mのところにあります。式内大社、長尾神社と刻む大きな石標があり、すぐわかります。ここに「歴史街道 竹内街道」と書かれた立派な案内標識もあり、スタート地点です。

この長尾神社から二上山の山麓を越え河内の国、和泉の国に通じる道は昔から6つの街道がありました。北から、関屋越、田尻越、穴虫越(いずれも香芝市)、岩屋越、この竹内越、平石越(いずれも葛城市)です。 ここで、二上山へ向かって歩き出す前に、是非とも立ち寄りたいところがあります。そこは、あの俳人松尾芭蕉も訪問し、感動した「孝女伊麻」、その彼女の行いを称えた「石碑」です。

伊麻は1624年に南今市の農夫長右衛門の子として生まれ、幼時に母を亡くし継母に育てられます。継母は伊麻と弟を虐待した上、父をそそのかし幼い姉弟を捨て大阪へいってしまいます。姉弟はこの地で必死に働き、得たお金を父に仕送りをします。しかし、父は貧しく病弱のため、継母は父を捨て家を出てしまいます。姉弟は病気の父親を連れ戻し、孝養を尽くしますが病気は良くなりません。1671年、疫病がはやり多くの人が亡くなります。父親もこの病にかかり、飲食も思うに任せません。そんな時、鰻を食べると良くなると勧める人があり、急ぎ四方を探しますが手に入りません。どうしたものかと姉弟が思案にくれておりますと、その日の夜半に水甕の中で大きな水音がしました。不審に思い水甕を覗くと、中で鰻が躍っております。これを食べた父親は元気になります。

孝女伊麻の親を思う美しい心に感動した大和郡山城主本多内記より「孝子の鑑」と賞されることになります。 先年、私が始めてこの「伊麻の石碑」を訪ねた時にこんなことがありました。近鉄「磐城」駅を出て歩き始めましたが、道に迷ってしまいました。ちょうど、通りかかりました男の子(中学生?)に「伊麻の石碑」へはどう行くんですかと尋ねました。するとその男の子は少し怒ったような顔をしながら「お伊麻さんの石碑はこの道を・・・」と丁寧に教えてくれました。その時に私は「親孝行で有名なお伊麻さんはこの町の誇りなんだな。皆に敬愛されているんだな。「伊麻」ではなくて、「お伊麻さん」なんだと強く感じました。心がほんのり温かくなった事を思い出します。

平城遷都1300年を来年に控え、お一人でも多くの方が奈良を訪れて下さる事を願っております。

次回は竹内街道を少し進み、松尾芭蕉ゆかりの「綿弓塚」を目指します。 

外部リンク
・竹内街道
・古代の国道1号線
・長尾神社
・式内大社
・河内の国
・和泉の国
・関屋越
・松尾芭蕉

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