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大和路を訪ねて 

〜 私の一押しの大和路 〜 【2】  米田嘉浩

前回は奈良がいかに素晴らしい所かを説明致しました。少しくどく、手前味噌的だったかも知れません。今回もちょっと押し付けがましく迫りたいと思いますが、お許し下さい。

今、いわゆる「京都ブーム」が相変わらず続いているようです。京都を訪れる人の数がいまだに年間5000万人を超えているとのことです。これはとてもすごい数で、日本人の2.5人に1人以上が訪れている計算になります。

確かに京都には雅やかで艶やかな洗練された美しさがあり、私自身も京都は嫌いではありません。ただ、奈良と京都との比較になりますと、私の友人・知人の多くは京都に軍配を上げます。曰く、奈良は地味なんだからとか、古い遺跡が多いだけとか・・・。

しかしながら奈良の立場からすれば、「京都に比べて奈良は地味でつまらない」などと言わないで欲しいと思います。ほんの120年前まで日本の首都(都)として1100年を超える期間も続いた所と、1200年以上前にその使命、役割を終えた所は当然異なった特徴があって然るべきものと思います。

ここで、奈良を訪れる時の心構えを少しだけご披露しましょう。
他人の受け売りで恐縮ではありますが・・・。

奈良・大和路は物見遊山の観光地ではありません。今では失われつつある日本の心が残っているのが、ここ奈良・大和路と言えるでしょう。奈良・大和路をゆっくりと心を込めて歩くことが、日本の心を見出す旅になると思います。京都も良し、奈良もまた良しと言ったところでしょうか。

前回は古代のハイウエーである山の辺の道をご案内しましたが、寺社・仏閣・古墳等の固有名詞を挙げるに止まりました。紙幅の関係がありますため止むを得ませんが、折角、山の辺の道を歩くのですから、見過ごしてしまいがちなスポットもご紹介します。

そこは、「磯城瑞籬宮跡(しきみづがきのみやあと)」です。場所は「平等寺」と「金屋の石仏」の中間ですが、少し山の辺の道を外れますので見過ごしがちです。今は石柱が1本あるだけですが、境内には磐座(いわくら)もあります。是非とも立ち寄って見て下さい。

余談ですが、私の住んでいますのは、奈良県磯城郡川西町です。県外の知人に「磯城郡」を説明するのに少し苦労をします。磯城のし(磯)は浜辺の磯、き(城)はお城の城と書くのですよ、と・・・。

磯城瑞籬の宮は記紀伝承上の天皇の崇神天皇の宮と言われています。崇神天皇は第10代の天皇で広辞苑によりますと、「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」であります。この意味は、初めて造った国を統治される天皇の意味で、「神武天皇」または「崇神天皇」をいうとの事です。ついでながら、日本国の別称といわれる「敷島」は「磯城島」と同意義のようです。

この崇神天皇の宮を後にして南へ向かい、「金屋の石仏」に挨拶をして更に進みますと、「古代の市場」海石榴市(つばいち)があります。奈良県には海がないのはもとより、いわゆる大河もありませんが、中小の河川はたくさんあり、これらの諸河川を古代から舟運により諸物資の運搬が行われていました。難波津から大和川を遡り、初瀬川を更に遡り、三輪山西山麓の「海石榴市」へ。そこから大和の国内の拠点へと陸路、水路で運ばれていました。

続きは次回と致します。

外部リンク
・山の辺の道
・磯城瑞籬宮跡
・平等寺
・磐座
・崇神天皇
・敷島
・磯城島
・海石榴市
・難波津
・大和川
・初瀬川

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