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天皇陛下も飲まれる牛乳

宮内庁管轄の御料牧場は一般公開はされていない。 同牧場は、宇都宮市から北東方向へ約13kmの、北に那須連山、西に日光連山、南に筑波山を望む鬼怒川左岸の標高145mの丘陵上に位置し、栃木県塩谷郡高根沢町と芳賀郡芳賀町の両町にまたがっている。樹林に囲まれた広大な敷地は252ヘクタールあり、東京ドーム54個分にもなる。

御料牧場は明治8年、大久保利通卿により、内務省所管下総牧羊場として、現在の千葉県成田市三里塚周辺に開設されたのが始まり。昭和44年に新東京国際空港設置計画に伴い現在地に移転し、現在に至っている。

宮内庁組織令第31条によると、「御料牧場は、皇室の用に供する家畜の飼養、農畜産物の生産及びこれらに附帯する事業を行う機関とする」とその目的が記されている。

具体的には、皇室用の馬車・輓馬の生産をはじめ、各種家畜・家禽の飼養管理や皇室・内外賓客接伴用の牛乳・乳製品や牛肉以外の羊・豚・鶏肉及び鶏卵、また20種類ほどの蔬菜の生産を行っている。また、在日外交団の接遇や、天皇陛下はじめ皇族方の静養の場としても使用されている。

御料牧場では、牛は乳牛のみが飼養されており、ホルスタイン種が搾乳牛6頭を含む15頭、ジャージー種が搾乳牛4頭を含む10頭が飼養されている。

生産加工されているのは、牛乳、バター(有塩・無塩)、クリーム、カルグルト、ヨーグルト(ドリンクタイプ・加糖、無糖両タイプのハード系)、チーズ。

カルグルトというのは、聞き慣れない名前だが、カルピスに似たはっ酵乳で、殺菌しないで濃縮して作られる。2倍に薄めて飲むもので、昭和天皇がことのほかお気に入りだったそうだ。

チーズはゴーダチーズのみを生産している。かつてはカマンベールも作っていたのだか、最近はご要望がないので製造していない。

牛乳は、ホルスタイン種の生乳にジャージー種の生乳を30%ほど混合している。製造後、所定の検査を終えてから、週3回東京に搬送している。皇室用のこの牛乳は、63度30分の低温殺菌処理が施され、200mlと900mlの2種類のビンに詰められる。

乳脂肪分は年間通して4%を切らないように努力しているようで、実際に飲んでみると、かなり濃厚でかつ甘みがあり、それでいてさらっとした飲み口だ。1回に平均して300本製造するそうだが、多めに作っているようで、量に余裕がある時は、宮内庁職員の福利厚生のために使われる。宮内庁内の食堂の自動販売機で、200mlのビン入りのものが1本60円で買えるそうだ。

一般の人がまずお目にかかることがないこの牛乳は、消費期限が7日間と短い伝統的な低温殺菌処理が施されており、「細菌数が少なく、一般の市場では、特別牛乳としても通用する高品質のものだ」と石原哲雄・場長は胸を張って説明してくれた。

(酪農乳業ペンクラブ秋季研修会 2007年11月22日)

三里塚御料牧場記念館

桜と馬の牧場として、長い間多くの人々に親しまれてきた旧宮内庁下総御料牧場が、新東京国際空港の建設にともない,昭和44年惜しまれながら栃木県塩谷郡高根沢町に移転しました。明治の初めから三里塚の地にあって、我が国の畜産振興のパイオニアとして輝かしい足跡を残してきた御料牧場の在りし日の姿を忍び、御料牧場の名を永くこの地にとどめるため、成田市は、御料牧場事務所のあったこの場所に「成田市三里塚御料牧場記念館」を建設しました。

展示室は次の7コーナーに分けられています。   ○御料牧場の概要 ○御料牧場の歴史 ○牧畜と農耕 ○研究技術の発展 ○皇室と御料牧場 ○三里塚と文人 ○お召し機用特別調度品


開館時間:午前9時から午後4時
休館日:毎週月曜日(月曜祝日の場合、翌日の火曜日)、年末・年始(12月29日から1月3日)
入館料:無料
所在地:成田市三里塚御料1番地の34
電話:0476-35-0442

千葉県博物館協会「成田市三里塚御料牧場記念館」ホームページより

御料牧場の概要

明治時代のはじめに、下総御料牧場の前身である下総牧羊場と取香種畜場の用地選定にあたり、政府が出した条件は、1.青草に富むこと、2.樹林地に恵まれていること、3.物資の輸送に便利な所、でした。この三里塚周辺地域が、これらの条件を満たす自然環境と地理的環境を備えていたことは言うまでもありません。  このコーナーは、御料牧場のあらましを示すために、映画「三里塚御料牧場」のビデオと、閉場前の御料牧場の地形模型を配して、牧場や施設などを照会。さらに、牧場をとりまく環境を示す資料として、周辺の植生分布図、気象関係図、それに昭和初期の成田鉄道路線図などを展示してあります。

御料牧場の歴史

北総台地が、牧畜の適地であったことは、この地域の歴史的変遷をたどることによって、よく理解することができます。ここでは、旧宮内庁下総御料牧場の前史的な経過と、閉場に至るまでの変遷を主体として、関連する資料を展示してあります。  主な展示資料は、略年表をはじめ、成田市から出土した古墳時代の馬の埴輪、房総半島の古代駅と官牧の推定図、馬を戦力源とした中世武将たちの城郭址・館址・砦跡の配置図、江戸時代の佐倉七牧の大絵図、牧士が使用した和鞍・鐙・鞭、さらに、野馬狩りに徴発された野附村の村小旗をはじめ、佐倉七牧関係の古文書類、宮内庁下総御料牧場の門標、新山荘輔5代御料牧場長のブロンズ像などです。

牧畜と農耕

下総御料牧場では、多種多様な業務内容を織り込んだ独立採算的多角経営を行っていましたが、このことは余り知られていないようです。その経営の大もとは牧畜と農耕で、牧畜事業では、馬・牛・綿羊・豚・鶏などの飼育と、バター・ハム・チーズなどの畜産加工品の生産。農耕事業では、牧草や野菜・穀類の栽培と植林などです。また下総御料牧場は、日本獣医学発祥の地であり、日本競馬界のパイオニア的存在としても注目されていたことは、よく知られているところです。  主な展示資料としては、施設の配置図、綿羊・馬・牛などの輸入頭数表、その生産統計図、製酪関係統計図、他に現物資料として6頭曳のダブルブレーキングプラオ、カルチペーター、その他明治時代に輸入した農機具類、蹄鉄腰部などです。

研究技術の発展

下総御料牧場の長い歴史のなかで、特に見逃すことのできないことは、大久保利通の遺言によって、明治政府がいち早く欧米の優れた畜産技術と、畜産と一体をなす獣医学を導入したことです。とくに、アップ・ジョーンズ、H・レーサム、リチャード・ケイらの外国人技師が、大きな役割を果たしたことを挙げておかねばなりません。  また、先進的な輸入農機具類を駆使して行われた大農法経営が、御料牧場発展の原動力であったことも忘れてはならない事実です。  ここでは、アップ・ジョーンズの牧畜に関する建言書、アップ・ジョーンズに対する明治政府の命令書、牧羊生の教授科目一覧、馬の骨格解剖図、旋毛集などの関係資料を展示いたしました。

皇室と御料牧場

明治天皇は、明治14年(1881)と、翌15年の2度にわたって、下総種畜場(下総牧羊場と取香種畜場が合併して設置された。)へ行幸されましたが、明治18年の宮内省移管後は、わが国唯一の宮廷牧場として、皇室の牧場に対する関心も強まり、閉場に至るまでには、昭和天皇・皇后両陛下の行幸啓をはじめ、数多くの皇族方が来場されています。そのほか、昭和24年に宮内府(宮内庁の前身)が、英国の代表部を招待して園遊会を開いてからは、在京外交団の招待が恒例の行事となり、閉場まで続きました。  このコーナーには、宮内庁のご好意によって払下げを受けた馬車(普通車4号)のほかに、酒井克巳元御料牧場長の大礼服、大礼帽、帯剣をはじめ、明治天皇の行幸順路図、昭和28年に来場された昭和天皇・皇后両陛下のお写真などを展示してあります。

三里塚と文人

ここでは、三里塚を訪れて、若駒の群れなす牧場や緑深い三里塚の自然を詠み、画いた文人・画家たちの作品類を主体に展示いたしました。とくに、この地に後半生を送った水野葉舟の作品を中心として、葉舟と親交の深かった高村幸太郎の「春駒」の原稿をはじめ、窪田空穂、前田夕暮、水町京子、三里塚の近く久米に住んだ木村荘太らの詩・俳句・短歌・小説・小品類と、大滝斗良樹、篠崎輝夫の油絵を展示。それらの作品を通して、三里塚の大地に親しんだ彼らの側面にスポットをあててみました。

千葉県博物館協会「成田市三里塚御料牧場記念館」ホームページより